はじめまして、ミラです

「大人になんてなりたくない。」

大人たちがとてもつまらなそうに見えていた、あのころ。

もうここにはいない、でもたしかに存在していた17歳の私に

絶望されない生き方をしたい。

こんにちは、パピプルカラーを運営しているMIRA(ミラ)です。

ブログを読んでいただき、私にも興味をもってくださりありがとうございます。

私はアトリエ内で調合して作るオリジナルブレンドの基底材を使い、不透明水彩や日本画材、金箔などで絵を描いています。

作品は個展の記事やInstagramでも見ていただけます。

2025年春季に続いて秋季もホルベインワークショップの講師をつとめます。

ワークショップでは不透明水彩(ガッシュ)をメイン画材として使っています。

ワークショップの内容やお申し込み方法はこちらの記事でご確認いただけます。

ストアカのオンライン(Zoom)講座でも絵を教えています。

デザイナーから絵を学んだ為、この他にもいろんなジャンルの絵を描きます。

ギフト商品を扱う企業を通して、時々リアル系似顔絵の注文をいただいたり、

絵の師匠の吉祥画を継承し、モダンな赤富士などの縁起物も描いています。

似顔絵も吉祥画もMIRAとは別名義での活動です。

ポスターカラー、不透明水彩、日本画の絵の具が特に好きで、ポスターカラーと不透明水彩(ガッシュ・デザイナースカラー)、透明水彩を用途によって使い分けながら1枚の絵を仕上げることもあります。

一浪してまで入った美大は中退しましたが、どうしても絵の世界と繋がっていたくて画廊で何年も働きました。

そこで出会った作家に手紙を書いて送り、師弟として学びながら再び絵を描くようになりました。

「道具が悪いんとちがう、腕が悪いねん」と容赦ない先生の言葉がストンと腑に落ち、コンディションの悪い安い紙でも絵の具でおさえつけて描く方法を覚え、おさがりのオンボロ筆は割れたりもげたりしたらタコ糸とお箸とボンドで修理して使い、絵の具の銘柄には特別こだわらず、無い色は自分で作れば良いという感じで、ええかげんなのか本格的なのかその両方か、とにかく楽しく絵を描いてきました。

最近になって「紙が風邪をひく」というデリケートな言葉をおぼえ、紙が良いと描きやすくなることに気が付き、オンボロ筆は今となっては手に入りにくくなっている天然毛の貴重な筆であることを知りました。

私は日本画の筆が世界的に見ても高品質ですばらしいものだと思っているので、水彩画を描くときも基本的に日本画の筆を愛用しています。

筆の状態によっては修理で解決出来ない場合もありますが、毛の部分が生きている場合は出来るだけ修理、手入れして長く使うようにしています。

画廊で働いていたときに額縁も販売していたので額装も大好きです。

マットを自分好みに改造するというのもよくします。

アンティークの額縁などが手に入れば塗装し直して使うこともあります。

女の子がいちばん美しい姿でいられる時期、私はどん底を味わいましたので(しぶとく生きてかわいいおばあちゃんになって最終的に楽しい人生にしよ)と思い、「絵を描いて楽しく生きる」というスローガンでこのブログをはじめたのですが、

正直なとこ、まだおばあちゃんになっていないけど毎日が楽しいです。

いや、楽しいというと語弊があるかも。

毎日、悔いのないように生きている感じです。

ブログは書けば書くほど自分の愚かさを知って苦しい思いもしましたが、記事を読んでよろこんでくださった方からお礼のメールをいただいたり、個展を見に来てくださった方たち、絵を買っていただいた方たち、ワークショップに足を運んでくださった方たち、講座を受けて喜んでいただいた方たち、画材を提供してくださったメーカーさま、講師に招いてくださったメーカーさま、マガジンやLINEにいつも感想を送ってくださる方たち、一緒に前に進む絵描き仲間など、素晴らしい出会いに恵まれました。

個展やワークショップには新幹線に乗るなど遠方からも来てくださり、一番遠くは海外からお越しいただきました。

人に出会うたび、わたしはその方の目をお借りしています。

ほんのひととき、その方の目になり、世界を見せていただいています。

たくさんの目の幾重にも重なった世界から多くを学び、また自分に還って絵を描きます。

いただいた命を、時間を、知恵や愛を、自分と絵を使ってどこまでお返しできるか、それに挑戦しています。

絵を描く人に向けて「絵(特に水彩画)の描き方」や「画家活動」に役立つコンテンツをメルマガでお届けしています。

スタートしたときと今とで伝えたいことの方向性が変わってきたため、現在リニューアル作業中で一旦登録をストップしていますが、新しい特典がそろい次第、新規登録の受付を再開します。(9月中には再開予定。)

これまでにご登録いただいた方は今後も引き続きマガジンをお読みいただけますので、ご安心ください。

アートをいつも身近に感じてもらえるよう、毎日を明るく美しくお洒落に彩るスマホ用の壁紙をプレゼントする公式LINEも始めました。

不定期で新しいデザインを追加していくので、楽しんでもらえたら嬉しいです。

来歴

子供時代

クラシック好きな両親だったからか、私は5歳になるとピアノ教室に通うことになりました。

ピアノも好きでしたが近所の集会所では月曜日になると絵画教室があることを知っていて、いつも窓ガラスにベッタリはりついて絵を描いている人たちの様子を見ていました。

絵画教室の先生が気付き、中へ入れて絵を描かせてくれたこともあります。

ミラ

絵習いたい

はは

ダメ

ミラ

ピアノより絵が習いたい

はは

ダメ

なんでアカンのかわからない私はその後も月曜日になるたび妖怪のように窓ガラスにビタッとくっついていたので、見かねた絵画教室のM先生が「絵を習いたいようなんです」と母に話してくださって、ようやく絵画教室に通えるようになりました。

楽しくていつも一番乗りで教室へ行き、みんなが帰って最後に先生と一緒に教室の鍵を閉めるまでずっと絵を描いていましたが、夢のように楽しい日々はわずか2・3年。

絵画教室の閉鎖により、あっけなく終わってしまいました

学生時代

学生時代はマンガやアニメが好きで月に一度アニメイトに行くのを楽しみにするような中学生でしたが、私の親は私が夢中で絵を描いていることをあまり良く思っていないようでした。

両親ともに絵にはさほど興味がないようで、進路相談の3者面談では「この子には栄養士になってほしいんです」と突然切り出されるなど、当時は絵を応援してもらえる空気は全くありませんでした。

そのころから色々なストレスが増え、体の調子がおかしくなっていきました。

慢性化していた頻脈性不整脈のせいか、一時的に右目が見えなくなったこともありました。

クッキー2枚を食べただけでも数時間体の中が焼けるような不快感が続くためものを食べられなくなり、食べても少しで具合が悪くなるので34kgまで体重が減ってしまい、病院で処方されたエレンタールという液体の栄養剤だけを摂っていた時期もあります。

坂道を転がり落ちるように物事がうまくいかなくなってゆき、這い上がるまでは地獄のような苦しい時間が延々と10年以上続きました。

家族には絵を描くことを応援してもらえないと感じていましたが、私の実印を作ることになったとき、印鑑屋さんが四柱推命で調べて「この子は芸術の学校に行かせてあげてください」とおっしゃったそうで、後に美大に行きたいと私が言い出したときには受験させてもらうことができました。

ただ、美大に通っていた前後が人生で一番体を壊していた時期だったこともあり、両親や予備校の先生に申し訳なさを感じながらも結局は学びたい気持ちを残したまま中退という道をたどりました。

絵に救われる

体を盛大にこわし学校もやめてしまい何もかもうまくいかず途方に暮れていたものの、生きることを途中でやめるのはなんか違うと思っていたので、美大をやめてからも絵を描き続けていました。

モチベーションの為に何か目標を作ろうと思い、出版社に送るためにマンガを描くことにしたのです。

マンガ家にはなれませんでしたが、デッサンや遠近法、構図やグレースケールでの配色など、絵画の基礎の多くをマンガを描くことで学ぶことが出来ました。

マンガを描いている間も体の不調やつらい気持ちが消えることはありませんでしたが、原稿や資料などが散らばった踏み場のない部屋で作品を完成させ、郵便局に出してきた直後のほんの2時間くらいの間だけこの世の全てから解放されたような気持ちになったことを覚えています

出来ることはすべてやる

いくつもの病院で検査や治療を受けたものの一向に体調が回復しなかったため、なんとか治したい一心で鍼灸整骨院を数カ所、漢方薬局を数カ所、スポーツクラブでの水泳やジム、パーソナルトレーニングでの加圧トレーニング、カイロプラクティック、気功、ヨガ、整体、ベジタリアン、酵素玄米、酵素浴、レイキ、オーラソーマ、カウンセリングなど色んな方法を探しては試しました。

特に水泳やヨガなどは何年も継続しましたが、期待したような結果は出ず何度も落胆するのがつらくなり、しだいに何かに期待するということをしなくなりました。

働いて手にしたお金は治療費に飛んでしまう日々。

早く人生が終わらないかなと何度も思いました。

それでも良い先生がいると聞けば飛行機に乗ってでも治療を受けに行くなどし、何年もかかってようやく鍼灸や漢方薬、気功などの良い先生にそれぞれ出会うことが出来たおかげで、体調は回復していきました。

特定の食品群を摂ると体調がおかしくなることがわかったり、病院でよく処方される抗生物質などの薬のアレルギーが見つかるなど、原因不明だった体の不調も抑えることができるようになりました。

画廊時代

ご縁があり、画廊では9年働きました。

画廊というのは一見綺麗な仕事のようですが、実際は展示設営などの体力仕事でもあり大変なことも沢山ありましたが、ここで国内外のプロの画家さんたちの展示企画運営に携わり、多くの作品や画家さん、お客様と出会い関わらせていただけました。

このブログでは絵画の販売や額装についての記事も色々書いていますが、それはこの画廊の仕事でのリアルな経験から実感したことや、自分なりに学びとったことをもとに書いています。

大学を卒業できなかった悔しさを引きずっていたので、ここで働いている間に勉強してカラーコーディネーター(2級)や着付け師範、アロマテラピーなどの資格もとりました。(アロマテラピーはAEAJには入会していませんが1級試験の合格と認定講習会は受講済み。)

特設会場や美術館での大掛かりな展覧会の準備などは、力のある男性でも重労働。

夜遅くまでかかることもあり本当に大変でしたが、絵の好きな人が集まる会社のみんなと一緒に仕事をしていると、文化祭でもしているみたいな楽しい気持ちにさせていただけました。

たくさん失敗もありましたが仕事から学んだことは多く、画廊で働けたことは心から感謝しています。

師匠をみつける

ときどき、私はキーパーソンに出会う前に不思議と気が付くことがあります。

それは具体的な人物像がイメージとして浮かんでいることもあれば、人の名字がなぜか頭から離れないでいたらその名字の人に出会うといった具合です。

そのときも先生になる人に出会うということを少し前から感じて知っていたので、今の絵のお師匠さんに会ったときすぐに「この人がそうか」と気が付いたのですが、あちらは全く気が付いていなくて「先生のはずなんやけどな…おかしいな」としばらくは思っていました。

矛盾するようですが、紀伊川宗圓先生と初めてゆっくりお話しをさせてもらったとき、私は今のような画家活動をするとは思っていませんでした。

ミラ

絵は一生趣味で描いていくのかなと思っていて…

ミラ

でもこのままだと、いつか死ぬときに後悔するんじゃないかと思って…

宗圓さん

それは後悔するやろな

ミラ

うぉん…

宗圓さん

応援するから頑張り

「応援するから頑張り」という言葉は私だけにかけられた言葉でなく、先生の元にはいろんなクリエイターが集まってきては事務所の一角を借りて勉強しながら独立していったデザイナーさんなどもいます。

けれども次々マシンガンのように「あれやり、これやり」と繰り出してくる先生のアイデアについて行けず「やっぱり無理ですわ」と去っていく人は多かったそうです。

私もまたそういう一人だと先生は思われたようでした。

体が弱く画廊で働きながらではなかなかついて行けない私のことを、丈夫に生まれついた先生は理解できず「やる気がない」と怒って早々に切り捨ててしまわれました。

それでも「この人だ」と感じていた私はダメ元で、どうしても先生から習いたいと手紙に書いて送り、それを受け入れてくださって今に至ります。

それ以来、「上手に話せなければ書けば良い」というのは不器用な私にとってのひとつの杖になり、こうしてブログを書くことにもつながりました。

ダメでもともと。本当にしたいことがあったらドアを叩けばいいし、それがもし開いたならエイッと飛び込んでしまえばいい。

作風のこと

プロとしてやっていくのであれば、この絵を描いたのはこの人とわかるような作風で描けることが必要だとよく言われます。

それは実際そうだと思います。

ただ、私の場合は「描きたいものを描ける腕になりたい」という強烈な思いがあったので、最短で作風を絞ることをせず、絵を描く基礎体力をつけるために遠回りしていろいろな描き方で絵を描いてきました。

いろいろ描いてわかったのはムダになることなんてないし、何を描いてもおもしろかったということです。

いろいろ描いた経験はすべて描いた人の引き出しに入ってくれるのです。

自分の作風がないと焦っている人には「そんなに焦らなくて大丈夫だよ」と声をかけたいです。

吉祥画については今のところ、師匠の図案を引き継ぐ形で絵を描いています。

小手先でアレンジしたくらいではどうにもならないので、この先ながく描いていきながら自分なりの吉祥画にしていくつもりです。

縁起物を描いていますが、私自身はあまりスピリチュアルに傾倒していない現実主義というか、行動主義です。

モチーフとして縁起物を描いているので勉強はしますし、特殊な方にも出会ってきたのでスピリチュアルを否定はしませんが、何事も地に足がついていることが大切です

縁起物というのはめでたく誰かの幸せを祈るものであり、前向きな気持ちや行いに勢いがつき心の支えになることもありますが、地に足を付け現実的な努力をし、縁起物やスピリチュアルに振り回されないこともまた大切で基本であるという姿勢で絵を描いています。

憧れ学んできた日本の蒔絵や浮世絵、琳派などの絵はそれぞれの時代のニーズや人々の生活に寄り添うものでもあり、学ぶほどにデザインと共通するところを感じます。

絵はアートであると同時に現代を生きる人とともにあるデザイン的で装飾的な美しいものを目指したいと思うようになり、デザイン画家という呼び名を作りました。

自分の国の民族衣装を自分で着ることが出来ないのはさみしいことだと思い、着付け師範の資格をとったのですが、日本人の絵描きなのに日本画を描けないのもやはりさみしいと思うので、日本画材でも絵を描いていきたいと思っています。

今後の活動予定

今後は展覧会などの作家活動のほか、絵画教室やワークショップ、絵の活動に役立つサポートなど、絵に関する活動を広げていく予定です。

絵を描いたり鑑賞することで人生を楽しみ、心豊かに生きる種をまくような活動をしていこうと思っています。