「乗り越えられない壁はない」という格言を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
誰しも生きていると壁にぶち当たることはあり、そんな時このような言葉に勇気をもらい頑張れたという経験をされた人は多いと思います。
一方で抱えきれないほどのストレスや重圧を感じ、「本当に乗り越えられない壁はないのだろうか?」「どうしてこんな大変なものを乗り越えなくてはいけないのだろう」と疑問に思う人もたくさんおられるのでは、と思います。
今日は「乗り越えられない壁はない」というのは本当かな、というお話しです。
もくじ
「乗り越えられない壁はない」と教育された私たち
「乗り越えられない壁はない」という名言がこれほどまでに人々の心に浸透しているというのは、学校やメディアなどで度々語られ、それを語られるときは必ず何らかの成功体験とセットで語られるからです。
重い病気や障がいのある方が何かに挑戦するというテレビ番組や、病気やケガをしたアスリートが復帰したときなど、感動や尊敬の念とともに「乗り越えられない壁はない」というメッセージを私たちは繰り返し受け取っています。
私たちは「壁(困難)を乗り越えることは素晴らしいこと」と意識的、無意識的に教育され続けています。
そのため、「壁(困難)は乗り越えなくてはいけないもの」と多くの人が疑うこともなく信じているのではないでしょうか。
語られるのは「壁を乗り越えた人」の成功体験
「乗り越えられない壁はない」と語られる話は、壁を乗り越えることの出来た人の成功体験です。
それは誰もが簡単には乗り越えられない壁だと感じるからこそ感動や尊敬をよび、人々に勇気を与えるものであり、実際に他人にはわからないような大変な努力を伴う素晴らしい出来事に違いありません。
ただ、注目され語られるのは成功体験であり、壁を越えられなかったという話は取り上げられることはあまりありません。
乗り越えた話ばかりが感動とともに語られれば、「壁は乗り越えるもの」という思い込みを生み出します。
私たちひとりひとりには、その人の性質や経験値などによる受け入れ可能な容量というものがあり、同じ出来事にも耐えられる人とそうでない人とが存在します。
強い意志や心を持っていたり、支えてくれる人に恵まれるなど、想像を絶する困難も突破していく、そんな人は確かにいます。
一方でその人の容量をはるかに超える困難や災害のような出来事も、実際世の中にはたくさん起きているのではないでしょうか。
「乗り越えられない壁はない」と信じ、ひたむきに努力し乗り越えていくことは本当に素晴らしいことではあるけれど、その人の容量を超える困難に出会った人に対しては、この格言は大変なプレッシャーとなり、非常に酷な言葉にもなり得る気がするのです。
壁を「乗り越える」以外の方法
たとえば、あなたの目の前に大きな山がそびえ立っているとします。
あなたは山の裏側で暮らしたいと思っていますが、その山はあまりにも標高が高く、車では途中までしか行かれず、その先を歩いて登るのも大変な危険を伴うところで、わずかなプロのクライマーしかその山を越えた者はいないといいます。
山は左右に連なる連峰で、迂回するにもとてつもない遠回り、その山の向こうへ行く人はあまりにも少ないため、交通網も発達しておらず、列車は通らず道路さえ整備されていません。
あなたはどうしても山の向こう側に行きたいという強い願いをもっています。どうしても行きたい。
①山を越える
何が何でも行きたい。どんなに困難で危険でも命がけでも行きたい。
そんな信念で山を登って越えようというのが一つ目の選択肢。
②遠回りする
とてつもない距離を、とてつもない時間を費やして迂回路をゆく。
この険しすぎる山を登るほどの命の危険はなくても、一生かけてたどり着けるかさえわからないほどの遠回りをしても、やはり向こう側を目指す、というのが二つ目の選択肢。
③誰かに頼む
あらゆる手段を使い、自家用ジェットを持っている人物Aとコンタクトを取り、なぜ向こう側へ行かなければならないか、あなたを支援するとどんな良いことがあるのかプレゼンし、Aの賛同を得て自家用ジェットで山を越えるという、他人に頼るという選択肢。
④待つ
あちら側に交通網が発達するのを気長に待つという選択肢。
⑤前向きにあきらめる
あちら側へ行きたいという気持ちはあるけれど、現実的に考えてみるとあまりにも困難な道のりで、時間もエネルギーも一生かけても足りないのではないか。
そこまでして本当にあちらへ行くべきなのか考え抜いた結果、山の向こう側へ行くのはあきらめて、山のこちら側で楽しく過ごす、という選択。
ざっと思いつくだけでも、いくつもの選択肢があります。
そして「あきらめる」という選択肢だってあります。
これはただ断念するというより、自分にとってより良い別の選択をするという意味でのあきらめです。
壁を乗り越えるとは、どういうことか
そもそも何をもって「壁を乗り越えた」と定義するのかは、とてもあいまいで正解は一つではありません。
先ほどの例え話でも、山を自力で登り向こう側にたどり着くことが「壁を乗り越える」ということなのか、誰かに頼むなどして、別のルートであってもたどり着けばいいのか、あちら側へ行くというそもそもの目的を変更してしまい、こちら側で幸せに暮らすというのも「壁を乗り越えた」ということにはならないでしょうか。
乗り越えられない壁は、必ずしも乗り越えなくて良い
壁があったときに、なんとしてでも乗り越えようとひたむきに努力して実現するというのは素晴らしいことですし、実現したときの喜びやまわりへの良い影響は大きなものになるに違いありません。
しかし、「これは一生かかっても乗り越えられないかもしれないし、そこにそれだけのエネルギーや人生を費やす必要があるのか」と疑問に思うのであれば、壁を乗り越えるという選択肢を外し、その上で自分にとって本当に大切なものは何かを改めて考え、その後の人生をより良く生きるという選択をすることも、ひとつの正解です。
壁を乗り越えることは素晴らしいけれども、必ずしも乗り越えなければならないものでもありません。
壁を乗り越えるかどうか、選択する
人それぞれ人生のとらえ方は異なり、一生挑戦し続けることが生きがいな人もいれば、無理はせず、ほどほどに幸せであれば良しとする人もいますし、何が正しいと他人が決めることはできません。
人生では思いもよらないことが起こることもあり、それもひとつでなく重なるように起こったりするものです。
正面から向き合わなければならないこともありますが、起こること全てに正面からぶつかっていたら身がもたないということだってあるでしょう。
そんなとき、「乗り越えられない壁はない」と頑張るのもひとつの正解、「乗り越えなくてもいい」と上手にあきらめるのもひとつの正解であると知っていると、今後の人生をどう生きるかという選択肢がひろがります。
あなたの人生に壁が現れたとき、それを乗り越えることが本当のあなたの喜びですか。
別の道の方が喜びは多いですか。
あなたやあなたの大切な人たちにとって幸せなのはどんな方法でしょうか。
「壁は乗り越えなければならないもの」というフィルターを外して考えてみると、あなたの望む道が見えてくるはずです。