私は極度のあがり症でした。
常にキンチョウ。私を見ないで。
年齢とともに良くなる?バカを言っちゃいけません。
勝手になんて治らなかったけど、考え方を修正したり不安要素を減らしながら、少しずつ改善させてきました。
今も人前に出されると緊張しますが、以前のような極度のあがり症ではなくなりました。
あがり症克服の道半ばですが、私が実際にやってみて改善した方法をシェアしたいと思います。
もくじ
極度のあがり症とは
まず、私がどれだけ極度のあがり症だったかというと、とにかく人に注目されるのが死ぬほど苦痛なのです。
- 赤面
- 多汗症
- 震え
- 声が出ない
- 視線恐怖
幼少期は限られた相手としか元気にお話し出来ず、よそのお家に連れて行かれたり親戚と集まったりすると、ほとんど言葉を発することが出来ませんでした。
かろうじて一言二言発した言葉は聞き取れないほど小さな声で、家族からは「蚊の鳴くような声」といつも笑われていました。
とにかく人前に出されるのが苦痛なので、小学生の頃は日直でみんなの前に立ってお話ししたり、自由研究について発表したりするときは顔が真っ赤になって息があがってしまいました。
合唱コンクールで舞台に上がるなんて、どんな悪いことをした罰なのかと思うくらい苦痛でした。
緊張から声が出なくなってしまうのですが、その頃はふだんは普通におしゃべりしていましたので、サボっている、やる気がないと思われてしまい、何度も何度も叱られました。
でも、叱られたって本人は必死で声を出していてそれなので、なおらなかったんですよね。
それでますます人前に立つのが苦手になってしまいました。
書いていて情けなくなってきますが続けましょう。
電話がとっても苦手でした。
パソコンの設定とか、問い合わせしないとどうにもならないことってありませんか。
どうにもならなくてかけるわけです、苦手な電話を。
たどたどしくお話ししているとき、ふと見ると膝がブルブルしているのです。…なんでやねん。
なんとか用事が済むころ、電話を握っていた手はなんだかネチャネチャ、全身ビッショリ汗をかいていて、あえなくお着換えとなりました。
汗なんて文字にするのも嫌ですが、他の言葉に言い換えるとしたら滝でした。
なんだか泣きたくなってきますが、もう少しお付き合いください。
ファッションの楽しさに目覚めたころ、同年齢の女の子たちの読むようなファッション雑誌に見向きもせず、パリコレ等のファッションショーに夢中になっていた私のファッションは、周りからとても浮いていました。
もともととても瘦せていたこともあり、痩せた自分をスタイル良く見せ、なおかつお洒落に見せる独特のコーディネートをしていたので、日常的に人が振り返るほど目立っていたと思います。
目立つのが死ぬほど苦手なのに。
これはなかなか信じてもらえないのですが、ただひたすらに服が好きで、好きなファッションがしたくてしているだけで、目立ちたいというのとはまた違うんです。ほんとうに。
しかし、その頃の私は街中を歩くと10メートルもいかない間にどこかから「カワイイ」とか「キモい」のお声がガンガンかかり続けるという、少し普通でない状況でした。
あまりにも注目され続けて目が回ってしまい、どこへ行こうとしていたのか、今どこを歩いているのかさえ分からなくなるというパニック状態に何度もおちいり、だんだん見られるということが、それまで以上にとても怖いことに変わっていったのです。
極度のあがり症が改善したキッカケ
極度のあがり症だった私が改善したキッカケには、接客の仕事が大きく関わっています。
私は人とお話しするのが得意でないと認識していましたが、得意でないだけで嫌いなわけではありませんでした。
私が仕事に選んだギャラリーの接客では、自分の得意分野である絵のことについてお話しできましたし、大人数を相手にするわけでなく、正面に向き合わずにお客さまも私も絵の方を見ながらお話しすることが多いので、私にとってはストレスの少ない環境だったのです。
私はそこにいる間に正しい敬語を自然に使いこなせるようになり、お客様との電話も出来るようになり、初めの頃こそ緊張しましたが、目の前でお客様がジーっと見ていようと商品を美しく素早く包装することも出来るようになりました。
①正しい言葉遣いを習得する
極度のあがり症の原因のひとつとして、私はどうお話ししていいかわからないという不安がありました。
社会に出てから気が付いたことですが、私の両親ともにあまりコミュニケーションの上手なタイプではなく、お話しするときの基本の土台が自然な形で学べていなかったのです。
電話をかけたら「おそれいります」、誰かに質問するときは「お聞きしても良いですか?」のような当たり前の話しかけるための言葉を知り、相手が誰であっても失礼のない敬語を正しく使えるということが安心感につながりました。
特に電話の応対などはある程度決まった流れというものがあるので、一度身につけてしまえば不安に感じることがなくなっていき、今では変な汗も震えも起こらなくなりました。
この正しい言葉遣い(よく使うもの)と応対の具体的な流れについて書くと長くなるので、近々別の記事で詳しくシェアしたいと思っています。
②慣れるまで数をこなす
極度のあがり症の別の理由として、経験の少なさがあげられます。
不慣れだと不安になるのは当然です。
お話しも電話も、初めの頃は舌をかんで言葉に詰まることもありましたが、何度も何度も経験することで少しづつ自然に出来るようになりました。
お洋服をジロジロ見られることについても、私の場合はその辛さよりもお洋服への愛の方が上回ったため、辛いこともありましたが好きな格好をし続け、不躾な人の視線を無視するという技を徐々に会得していきました。
それでも、やっぱりあがってしまう
少しづつ、極度のあがり症が改善してきたように思えていた私でしたが、その考えはまだまだ甘かった。
慣れた状況では上手く振舞えても、慣れない環境や状況に身を置いた途端、ガチガチに緊張してしまうことは何度もありました。
私には絵画の師匠がおり、絵の描き方や仕事の仕方などを教わっていますが、一般的な学校、先生というスタイルとまったく違う師弟独特の教わり方をしています。
そのときも「仕事を取ってきたら教える」というものでした。
一般の会社のOJTとはかけ離れた順序です。
私は絵画を使った建築関係の仕事をしたくて自分で資料を作り、営業先を決めて飛び込み営業へ出ました。
あがり症と根性は別なのです。
営業の仕方など、誰にも教わったことがありません。
初めての割には話せたとは思いましたが、帰宅すると服の中は冷や汗でボトボトになっていて、疲労で起き上がることも出来ませんでした。
こんなことで仕事なんてとれるだろうか。
とれないわけにはいきません。
どうしても、教わりたいのだから。
私には学生の頃から大好きな推しがおり、ツアーがあると地元だけでなく隣の県にも足を運びます。
その日は早めに家を出て、普段行かない土地のお洒落メゾン巡りをしてからライブへ向かうことにしていました。
お店を見るのは楽しかったのですが、ライブ仕様のお洒落をして出てきた私の姿に、キラキラしたショップ店員さんは「この人買ってくれそう~」「グイグイおしたら買いそう」とばかりに数人がかりで接客してくださり、またもや背中のあたりがグッショリ冷たくなるのでした。
スポーツしているときに出る水と緊張で出る水って、成分が違うそうです。
緊張の場合は体にとって大切なミネラルがたくさん出て行ってしまうそうですね。
大事なライブの前にミネラルを大量に失った私は、アリーナ席で何度も何度も眩暈で座り込みながらアンコールまで頑張り、ライブ後も何度も座り込みながら列に並んでグッズを買うというファンの義務(?)を遂行しきったのですが、ホンマにこれはなんとかせんとアカンよな、としみじみ感じたものでした。
極度にあがってしまう理由
そもそもどうして(極度に)あがってしまうのでしょうか。
HSPがどうとかじゃなくて、もっと具体的なハナシ。
①過去の失敗を思い出す
人前でやらかしたあんなことやこんな失敗の数々。
また同じようになるのでは。
また顔が赤くなったら恥ずかしいなあとか、そんな予期不安であがってしまいます。
②完璧主義
こうでなくてはいけないとか失敗してはいけないという思い込みが強い。
③良く見られたい
自分で本当~に嫌ですけど、結局コレに尽きるのではないかと思います。
良く思われたい。
悪く思われたくない、ガッカリされたくない、どうか嫌わないで。
これが最強の理由なのだと思います。
極度のあがり症と向き合う
極度のあがり症をなんとかするには、逃げ続けていても克服出来ません。
仕事はもっともっと頑張りたいし、遊びに行っても変に疲れたくない。
人と会った後グッタリしてしまいがちだけど、こんなにあがらなければ、もっと人と会うことを素直に楽しめるようになるかもしれない。
あがってしまう理由をしみじみと考えると、あることに気が付きます。
全部「自分」。
私は相手のことを考えるのでなく、いつも自分の心配ばかりしていました。
自分ではなく相手に意識を向ける
いつも自分を大切にしようと思って生きていますが、極度のあがり症に関しては自分より相手。
そもそも、完璧にしたところで私はどれほどのモノでしょう。
完璧な自分でいようとするよりも、相手に喜んでもらうことに集中する。
営業のプレゼンは自分がどう思われるかより、相手にどんなメリットがあるかをわかりやすく伝えることが大切。(これは就職の面接にも通じますね)
上手に話せなくても、話の大切な部分がきちんと伝われば良いのだと思うようにしたのです。
相手が器の大きな人であれば、こちらがあがっているくらい大したことと思わず、そんなことよりも話の中身やこちらの誠意を見ておられるような気がします。
過去の失敗を思い出すと今も怖いです。
人に嫌われると辛いです。
でも、嫌われるときは嫌われます。ただ、それだけのこと。
本当の自分より良く見られたいなんて、いやらしいことを期待するのはやめようと思うようになってから、私は少しラクになれました。
あがり症克服への希望
実はあがるのって、頭でどうこう考えるより早く体が反応していると思います。
そんな簡単な問題じゃないと思います。
私は他人からの視線を避け続けた結果、人と目を合わせることもちょっと苦手になってしまいました。
絵の公募展は受賞すると前に立たないといけないし、大きな企画だと写真まで撮られる。そう思うだけで「頼むから受賞しませんように」なんてアベコベなことを今でも思ってしまいます。
SNSに顔写真を載せたときなんて、清水の舞台から飛び降りる気分でした。
それでも、私のあがり症は極度とは言わない程度には少しずつ改善しています。
前述の推しバンドのフロントマンはとても人見知りで、昔はMCも全くなく、メンバー紹介もなく、ライブの最後にたったひと言「どうもありがとう」と絞り出すように言うのがせいいっぱいでした。
それでも他の人には書けない独創的な歌詞を書き、圧倒的な存在感とパフォーマンスで観客を魅了し、ファンから愛され続けています。
自分のするべき仕事さえしっかりやっていれば、上手に話せなくても大丈夫なんだと、私はその姿から学びました。
そのロックスターも今ではずいぶんお話し出来るようになり、微笑ましいその姿になんだか私も希望を持ってしまいます。
きっと、私のあがり症は完全には消えないだろうと思います。
でも、今の私はあがり症の恥ずかしさより大切なことに気が付いています。
自分を実際より大きく見せなくて良い。
完璧を目指さなくていい。
嫌われることくらいあって当たり前。
自分がどう思われるかより、相手を大切に考えて行動する。
自分の本当にやるべきことに集中する。
これで許していただけないものでしょうか。
私は極度のあがり症ではなくなりましたが、今もまだ、あがり症克服の道半ばです。
ここまで読んでくださったなら、きっとあなたもあがり症なのかもしれませんね。
この記事の中に、ひとつでもあなたへのヒントがあったらいいなと思います。
私も頑張ります。
あがり症は、あなただけでないよ。