自分には絵の才能がないのかな?
圧倒的にすごい人の絵を見たりすると、そう思う瞬間があるかもしれません。
でもそこで「どうせ自分なんて」と思ってしまうのはとても勿体ないこと。
そもそも絵の才能って何だろう?
絵の仕事に才能は必要なのかな、才能より大切なことがあるのかも、というお話しです。
絵の天才的な才能
絵の才能というとなんだか抽象的でわかりにくい表現ですよね。
私は画廊で働いていたときに一度だけ「これが天才か」と静かに衝撃を受けたことがあります。
私の働いていた画廊では額縁付きで絵画が入荷することもあれば、シート状で届いた絵画に合う額縁をスタッフが発注して額装することもありました。
カタログ通りの額装にするのが基本ですが、絵画の作風やその地域のお客様の好みによって「この額装では売れにくいな」と判断したら、より売れやすい額装に現場の判断で変えていました。
絵がすこし寂しくて展示したら周りの絵に負けそうとか、暗い雰囲気の絵は売れ残りやすい傾向があるので、画家さんが知ったら余計なお世話と怒られるかもしれませんが、マットの色や額縁のデザインで上手く調節して絵の雰囲気が華やぐようにアレンジするのが常でした。
あるとき、素晴らしい絵が入荷してきました。
その画家さんの絵は余計なアレンジのしようがない美しさだったので、とにかく額装によって色のバランスや絵の世界観、本来の素晴らしさが損なわれないように額縁はゴールドかシルバーのみにするなど細心の注意を払った記憶があります。
そこまで天才的な絵の才能というのは非常に稀なケースだったと思います。
こういう人を基準にしてしまうと生まれつきの絵の才能なんてほとんどの人にはないのかもしれません。
絵の才能より大切なもの
私自身は自分や他の人の絵の才能について、特に気になりません。
絵の師匠がよく口にするのは「どんなこともセンスや。センスがあれば出来るねん」ということ。
絵も仕事もセンス。会話もファッションもセンス。
センスって、生まれつきの好みの影響もなくはないけど、基本的には上質なものをどれだけインプットして自分の中で消化出来たかだと思います。
または理論を言語以外の方法で理解していることだと思います。
だから絵のセンスは才能じゃなくて、ほぼ努力。
そして「どんなこともセンス」なら才能はとくべつ要らないのでは…?
絵の才能とは何か
恥ずかしい話ですが、私は子供の頃から自分には絵の才能があると思い込んで生きてきました。
小学生の頃は入院した病室で絵を描き、母に「売ってきて」と言うなど、堂々とカン違いして生きてきた気がします。
美術系大学を辞めた後にも漫画を描いたりイラストも描いていましたが、「自分には絵の才能がある」なんて左下の絵のどこをどう見ればそう思えるのか、今となっては不思議です。
それでも本人は「才能がある」と信じ込んでいたものですから、ずっと絵を描き続けていたら少しづつ上達し、今では注文をいただいたり、10万円ほどの値段でも絵が売れるようになってきました。
絵の才能は思い込みがカンジン
絵の才能ってないと思えばないし、あると思えばあるような、ちょっとズルいものかもしれません。
思い返すと私は何の疑いもなく「自分には絵の才能がある」と思い込んでいたので、疑うこともなく絵を描き続けて来れたのかもしれません。
そうだとしたら、他人から笑われようとカン違いとバカにされようと、堂々と絵の才能があると思い込めることは強みではないかと思います。
すごい絵を描く人は沢山おられますが、その人達と比べて「自分には絵の才能なんかないんだ…」と思ってしまうか「まだ才能が表に現れていないだけ」と思うかで未来はきっと違うし、描いていても楽しいのは後者だと思います。
絵の上達には、センスを磨くことや描きたいものを表現できる技術の向上が必要ですが、「自分には絵の才能がある」と思い込んで努力出来ることが強い後押しになると思います。
絵の才能って「自分にはある」と疑うことさえせずに思えること、そう思って努力を続けられること、それを楽しいと思えることなのかもしれません。