HSPの人ってめんどくさい。
HSPとアピールする人ほど、実は図太いのではないか。
そんな声を聞きます。
今日は、自分はHSPだと自覚している人が周りから「めんどくさい人」と認定されないようにするにはどうすればいいか、というお話しです。
もくじ
「HSPの人はめんどくさい」と思われる理由
ただでさえ過敏で疲れやすいのに、「めんどくさい」なんて思われているとしたらガックリしますね。
でも5人に1人はHSPの傾向があると言われており「めんどくさくない」人もいる中で、なぜ「めんどくさい」と思われる人がいるのでしょうか。
特にめんどくさいと思われる傾向が強いのは「自らHSPであることを周りにアピールする人」のようです。
HSPと自己アピールする人がめんどくさい
自ら「HSPなんです」という自己申告をしてくる人がめんどくさい。
人は基本的に自分にしか深い興味はないので「あ、そう」という程度で「自分大好き」「かまってちゃんなのかな」と思われたり、「HSPっていうことは、この人はあちこち地雷がありそうでめんどくさいな」と思われるようです。
HSPだから優しくしてというプレッシャーがめんどくさい
自らHSPであることを宣言してしまうと、相手によっては気を遣います。
HSPではなく「神経質」や「潔癖」というのをアピールされると、周りの人は気を遣って疲れるし「怖い人」と思う場合がありますが、HSPのアピールは怖さはなくても、周りの人を疲れさせる可能性はあります。
たとえHSPであると言った本人がそういうつもりがなくても、「私は疲れやすいし傷つきやすいので、扱いに気を付けて優しくしてください」というニュアンスで相手が受け取ると、めんどくさく感じることもあるでしょう。
サービスというのは本来対価が発生してしかるべきもの。
お店の人がお客様に親切で優しいのは、お金を払ってくれる相手だから。
お客様でもなく恋愛対象でもない相手から無償で「優しくして」というアピールをされたと感じたら、「何カンチガイしてるんだ」と思われてもおかしいことではありません。
「HSPだから○○」という言い訳がめんどくさい
HSPに限らず言い訳は嫌われるものです。
特に会社に勤めていると、会社が求めているのは「あなたはこの会社にどれだけ貢献できますか」という成果ばかり問われるのであって、たとえ低気圧で吐きそうなほど頭痛に苦しんでいようと、家族の介護で前日まともに眠っていなくとも、過敏性腸症候群でおなかが痛かろうと、生理中でフラフラであろうと、ましてやHSPでも配慮などしてもらえないという、優しくない世界で私たちは日々生きています。
「HSPだから〇〇が苦手なんだよね」とか「HSPだから疲れる」とか「HSPだからできない」という言い訳っぽい言葉は「だから何?」「こっちだって疲れてるよ」「甘えている」という反感を買いかねません。
こんな優しくない社会で良いのかというギモンはよぎりますが、社会がすべてのHSPの人に優しいまろやかな世界になるのを待っていても仕方ありません。
どうしても配慮が必要なら、言い訳ではなく上手に交渉をして勝ち取る必要があります。
HSPと言いながら他人には無神経なのがめんどくさい
HSPの人は外から受ける刺激に敏感で、疲れやすく気にしやすい繊細な面がありますが、その繊細さが自分自身にばかり集中しており、他人に対する気遣いはそれほどでもない、もしくは自分でいっぱいいっぱいになり、他者に配慮する余裕がないという場合があります。
それは周りの人からは、繊細というより傷つきやすいわりに無神経な人と見えているかもしれません。
このようにHSPであることを自ら言ってしまうと、そのつもりはなくても、相手に気を遣わせるなど「めんどくさい人」とネガティブに受け取られてしまうことがあります。
HSPという言葉は自分のためにある
HSPの人がめんどくさいと思われるのは、本来自分自身を理解するための「HSP」という言葉を他人に向けて使っているからではないでしょうか。
HSPだと知ることのメリット
自分がHSPだと知ることで得られるメリットは、今まで苦手だったことやつらく感じていること、どうしてこんなに傷つきやすいのか、などモヤモヤと悩んでいた原因がわかることです。
人は上手くいかない時、その理由がわからないと余計に不安になります。
「自分はHSPという特性があるんだ」「HSPというのは病気ではないらしい」など、不安に感じているものの正体を知ることで、ストレスを減らすことが出来ます。
人は得体の知れないものには不安を感じますが、「HSP」という名前が付くことで安心することが出来るのです。
HSPという言葉は、自分をケアするためにある
自分がHSPだと知ることで、人は自分を上手にケアすることが出来るようになります。
自分は色々な刺激をキャッチしすぎるから疲れるんだなと気が付き、休む時間を大切に出来るようになります。
自分が気にしすぎているだけで、さほど悩まなくてもいいことなんだと気が付いたり、騒がしさがつらいのも病気でないなら、耳栓してみようかと別の角度で考えることが出来たり、生きづらいけど生まれつきの特性で、治せるものでもないのなら無駄に悩むのはやめよう、と良い意味で諦められたり・・。
「HSP」というのは繊細な自分をよく知るための指標。
繊細な自分に必要なケアをしたり、繊細すぎて偏ってしまいがちな思考を修正し、生きやすくするためのものであり、他者に理解してもらおうとして口にすると煙たがられる言葉のようです。
相手の理解を得たいとき
いくらHSPだと言葉にするとめんどくさがられるとはいえ、実際の生活で困っているとき、周りの人にも少し協力を得たいということもあるでしょう。
そんなときは「HSPだから」ともったいをつけず、「疲れているので音量を少し下げてもらえる?」とか「人数の多い集まりは苦手なので遠慮します」とか「そんな言い方をされると辛いです」など、素直に伝える方が感じが良いと思います。
まとめ
HSPの人がめんどくさいと思われることは、自ら「HSPです」とアピールするのを避けることで、多少なりと防げるように思います。
ただ、批判というのは必ずしも言った側が正しいとも限りません。
「HSPの人はめんどくさい」と言う人の中には、他人を理解しようという思いが乏しい優しくない人もいるかもしれません。
HSPであることを後ろめたく思う必要はありませんが、無駄に嫌われたり煙たがられるという「めんどくさい」ことを気にしなくて済むように、HSPの自己申告はしない方が安泰のようです。
HSPであるあなたの繊細な心は、めんどくさいことを気にすることに費やすのではなく、優しさや感動といった素敵なものにこそ、どうぞ向けてくださいね。